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華岡青洲

第八回

青洲の治療実戦記 (Ⅰ)
『乳巖治験録』 の詳細 (その1)

アメリカ合衆国の独立宣言は1776年(注1)、フランス革命は1789年、青洲が紀州に戻り父から医業を受け継いだのが1785年。その頃の外科手術は麻酔薬の発明前で、洋の東西を問わず、痛みで暴れる患者を大の男が数人がかりで押さえ手術を行っていました。まさに阿鼻叫喚の有様でした。
古くは奈良時代、聖武天皇は度重なる飢饉、大地震、天然痘の大流行等の災厄を鎮める為、大仏を建立しましたが、後の世も致死率の高い天然痘はたびたび猛威をふるい人々を恐れさせていました。
しかし遂に人間はこの病気を医学の力で克服し絶滅させました。(注2)
だが病魔との闘いは続き、感染症ではありませんが癌は21世紀の未だ多くの方が発病しております。
しかしながら医学は日進月歩で進化し、今や癌患者の生存率も格段に上がっています。(注3)

闘病されている方々への励ましを込めまして、
今回は217年前の驚くべき実話である乳がん患者と医師青洲の問答をご紹介します。

乳巖治験録

今回は217年前の1804年秋に患者が悲壮な覚悟をして青洲の元を訪れ、切々と青洲に手術を実行するように懇願する様子、そして医師青洲が全身麻酔下乳癌切除手術を決断するまでの揺れ動く心境と、一旦決意した後は漢方医学による内科的治療を施した(注4)後に行なった外科手術の仔細を克明に描いてある本家所蔵の『乳巖治験録』(注5)筆写コピーを元に紹介します。又同治験録文中の第1図~第5図及び“コロンメス”“取り除いた塊”は同じく本家所蔵の『乳癌治験図』(注6)をご覧いただきます。

第1図

表紙  注6

      第2図

青洲考案のコロンメス(上)と
バイオネットハサミ(下)

第4図

第3図

取り除いた塊

第5図

(文責:華岡青洲文献保存会代表幹事 髙島秀典)

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