今回は青洲自筆の書をいくつか披露し、その漢詩・言葉の出典と解説を試みよう。
〇遺墨での実例は次のようになっている。
No | 号 | 姓 | 名 | 他 |
---|---|---|---|---|
1 | 青洲 | 華 | 震 | |
2 | 青洲 | 震 | ||
3 | 青洲 | |||
4 | 青洲 | 七十有五 | ||
5 | 華 | 震 | ||
6 | 震 | |||
7 | ( | 無 | 落款 | ) |
※今回の遺墨は3・6・7である。
江戸時代は知識人の教養は漢詩の素養につきますが、青洲も幾多の文人と交流していたようです。(注:別の回に交流人脈を披露します。)
今回は書により、その一端をご紹介しました。
なお、書の解読は、小原道城(こはらどうじょう)書道美術館 宮田副館長様にご協力をいただきました。
書のお好きな方に書道美術館のご案内をいたします。
■第23期特別記念展は12月8日(火)から■
犬養毅と昭和政治家の書展を開催予定
犬養毅(いぬかいつよし)(木堂、1855~1932)は、第1回衆議院議員選挙当選以来、終生議員として活躍。憲政の確立・藩閥の排除・普通選挙の実現に尽力し、尾崎行雄(おざきゆきお)とともに「憲政の神様」と呼ばれた。満州事変後に総理大臣に就任し、その収拾に当たるが、翌年5・15事件により首相官邸で暗殺された。
犬養は、孫文などアジアの亡命政治家や文人との交流を積極的に行うほか、幼少期からの漢字を根柢に、木堂と号して、独特の書作品を多数産みだした。本展では、犬養毅の作品を中心に、若槻礼次郎(わかつきれいじろう)・浜口雄幸(はまぐちおさち)ら政党政治を守ろうとした人々、米内光政(よないみつまさ)・山本五十六(やまもといそろく)ら戦争に懐疑的でいながら結局それを担う事となった人々、そして、吉田茂(よしだしげる)・岸信介(きしのぶすけ)・池田勇人(いけだはやと)・佐藤栄作(さとうえいさく)・田中角栄(たなかかくえい)ら、敗戦後の日本の再建・発展に関わった人々など、激動の昭和戦前・戦後の宰相を中心に26名の書作品50点余を展覧し、書との関わりを振り返る。
会期は令和3年3月31日(水)まで。12月21日~1月11日までは年末年始休み。
文責:華岡青洲文献保存会 代表幹事 髙島