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華岡青洲

第二十五回

青洲の治療実戦記(Ⅱ)
【乳岩図譜】(乳癌治験術)の詳細 その1

青洲がその名を一躍有名にした手術があります。
それが歴史上証明できる世界初の全身麻酔下による乳癌腫瘍切除手術です。

その最初の患者である文化元(1804)年10月13日手術の藍屋 勘さんの後〈青洲逍遥 第8・9・14回に詳述〉、数年で多くの乳癌患者の手術が実施されました。

たくさんの治療事例が続く中で、門人たちからその手術の内容を詳述した記録を出版し、広く華岡青洲の外科の一端を知らせるべきであるという機運が起こりました。

その件について、2回に分けて華岡家の資料を渉猟し、考察してみたい。

今回は『乳癌治験術』と後に題簽を貼付したと思われる文献です。
当文献保存会はこの文献を仮に【乳岩図譜】と命名します。

注1:
文化7(1810)年2月晦日入門 備後の野村文剛(のむら ぶんごう) 通称は鄂。
注2:
文化6(1809)年 3 月 26 日に春林軒に入門した備前の赤石希范(あかいし きはん、通称退蔵字は宋相,号は槐陰,1785– 1847)天明5(1785)年、上道郡吉井村(現・岡山市東区吉井)の名主・徳田家に生まれ、和気郡北方村(現・備前市吉永町岩崎)の医師で叔父である赤石順治の養子となる。文政4(1821)年、岡山藩の御目見医、弘化2(1845)年に御番医者となる。弘化4(1847)年8月29日没。
注3:
加集三□は門人録では加集官平である。門人録では他に加集姓の門人はいない。
同人の門人録では文化8年5月19日入門、淡路三原郡福井村出身。

(文責 華岡青洲文献保存会代表幹事 髙島秀典)

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