華岡青洲(1760年~1835年)は江戸時代に活躍した医師です。
アメリカ合衆国シカゴ市にある世界外科学会栄誉館(International Museum of Surgical Science)の日本室に昭和29年(1954年)から青洲が展示されています。
何故かといいますと、歴史上文献で証明される麻酔薬による全身麻酔での外科手術を世界で最初に実施したからです。
それは文化元年(1804年)10月13日の乳癌患者への癌摘出手術でした。
(海外の全身麻酔の初例は40余年後の1846年9月アメリカ合衆国ボストンでのエーテルによる麻酔下の無痛抜歯手術、同年10月同地での外科手術といわれています。)
日本麻酔科学会ではこの10月13日を『麻酔の日』と定め青洲の偉業を顕彰しています。
冒頭にただ医師とのみ紹介しましたが彼は現代でいうところの内科医、外科医、麻酔科医にとどまらず産婦人科・整形外科・泌尿器科・肛門科・耳鼻咽喉科・眼科・皮膚科の領域も治療しており、更に薬の調合・発明、そして春林軒や合水堂の医塾での医学教育者を兼ねており、又夫々の治療に際し術式の考案や手術器具の考案改良を行うなど、その業績は圧巻です。
ところで華岡家は青洲の祖父の代から医者を専業とし、隨賢と称しました(初代)。
青洲は三代隨賢となります。
余談ですが、華岡青洲記念を当院名称に使用するため、特許庁から【華岡青洲記念】の商標登録の許可を得ましたが、その折直系本家であるとの証明の為戸籍調査した処、華岡貞次郎(六代隨賢)の戸籍に次のような記載があることを確認しました。
〇「戸主 亡父隨賢長男 明治十一年七月九日生」(「戸主」は貞次郎)
〇「前戸主 亡父華岡隨賢」
〇「祖母ヤエ 亡祖父隨賢妻 文化六年壬辰三月六日生」(ヤエは貞次郎の祖母)
戸籍は貞次郎の父(五代隨賢)にも祖父(四代隨賢)にも「隨賢」の名を表記しています。
「隨賢」の名は通称というよりも代々の正式な本名として扱われていたといえるでしょう。
このコーナーでは何回かに分けて、華岡青洲の生い立ち・その業績・自筆書など、華岡本家に伝わる文献・資料に基づいてご紹介します。